2016年の4月から11月にかけて、東日本地域の4都市(宮城県仙台市、長野県長野市、茅野市、東京都多摩市)が"宮沢賢治"をテーマとした市民創作プログラム、および「風の又三郎」の舞台作品の創作・上演に、世界で活躍する舞台演出家小池博史らとともに臨む。

2016年10月30日日曜日

小池博史さんと〈宮沢賢治〉テーマに交流会

多摩での公演を終え、本日10月30日茅野入りした演出家・小池博史さんと地域の皆さんとで、〈宮沢賢治〉をテーマに交流会が開かれました。茅野で活動する「宮沢賢治を読む会(星めぐりの会)」の皆さんとの交流会で、オープンサロンとして興味のある皆さんも加え、13名の皆さんが集まりました。



集まったのは、2011年3月11日の東日本大震災後、「賢治の残した作品を今こそ、ひとりではなく大勢で、声に出して読んでいきたい」と活動を始めたという「宮沢賢治を読む会(星めぐりの会)」の皆さんをはじめ、賢治の作品に心酔しているという方、図書館を利用していてこの公演を知ったという方、孫と一緒に改めて賢治を読んでいるという方などなど。小池博史さんが茅野市に隣接する伊那市高遠の森で行なっている合宿型ワークショップの参加者の方もいらっしゃいました。

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(宮沢賢治を読む会代表・本間さん)
自分たちも、こどもたちも、身体のなかを通る「感覚」でとらえないとわからないことがあるような気がしている。幼少期の記憶が人にとって大切な気がして、それがすごくあるのが賢治の世界じゃないかと感じている。

(小池博史さん)
 まず自分自身について。もともと演劇やダンスというジャンルではなく、空間、時間、身体の動きや声など、いろんな要素や異文化を織り交ぜた、ストーリーではない舞台芸術そのものの言語をつくりたいと思っていた。
 2010年に入り、自分たちが目指しているものと社会が別方向に向かっていく感じがしていた。そのとき岩手に行って、宮沢賢治はこういうところで生まれたんだとひしひしと感じた。そこで「宮沢賢治はやらないんですか」ときかれ、そうか、と。
世界全体、日本全体がわかりやすい方向に向いていて、そうじゃない視点は追いやられてしまう、それではだめだと感じ、賢治をやりたいと思ったのが2010年12月。そうしたら2011年に震災が起きた。
 パパ・タラフマラを解散して、築いてきたと思い込んできたものを一旦ゼロにしてから始めていくのが重要だと思い、2012年6月から「ブリッジプロジェクト」を始動した。さまざまな関係性で、いろんな意味で「橋」をかける。ワークショップをやるようになり、創作に関してはふたつの柱を掲げた。ひとつは「マハーバーラタ」。神々の話で、だれも生き延びない崩壊の物語。いろんなところで対立を煽るものが出てきている今の時代に、その意識をもたないとと思い、アジアで始めた。
 もうひとつが「賢治」。人間が人間の視点しか持ち得なくなってきたのが、これだけの問題をつくってきたのだという思いから。3本つくろうと最初から決めていた。『注文の多い料理店』では動物の視点から、『銀河鉄道』は死者の視点から。そして今回の『風の又三郎』。これはふたつのバージョンがあり、自然そのものの「風野又三郎」のほうを主にしている。
 風は目に見えない。放射能も目には見えないけれど、見えないものがもたらしてくる恐れや恵みがある。自然のなかにいてはじめて恵みを受けていく人間を描きたいと思った。では、自然を舞台でどう描くか。セリフで語る劇ではなく、踊るだけでもなく、装置や煙の動き、光がちょっとずつ変わる変わり方で見せる作品になっている。





(本間さん)
 今の時代性。一生懸命やっても無駄だなあ、と内向きになっちゃう感覚を、震災のときに感じて、なにをやればいいのかと考えた。そこで、賢治を読んでみるのが大事なんじゃないかと感覚的に思った。

(小池さん)
 メキシコの文化が好きで、古代人の感覚を持ってるのではという印象をよく受ける。連綿と時間が続いているような感覚がある。インドネシアもそう。死者が近い場所、死も生きたものとして扱っていく感覚。ここからここまで、ではなく連綿とつながっている感覚が、賢治の作品にももあるのではないか。
 たとえばインドネシアは、古典とコンテンポラリーが現代的に密接に結びついている。その距離の近さ、その視点がとても大切だと思っている。たとえば踊りでいうと、バレエやモダンダンスといった西洋のものは体をしぼって天に向かう。日本の舞踊は地に向かう。大地に足をはわせてコネクトしていく。そういう文化を考えると、身体の使い方がアニミズム。自然的なものとアジア人は強く結びついていたはず。それをもう一度チェックしていこうと創ったのが本作。

(参加者)
 お話をうかがっていて、感覚的なものが大事、身体で感じるようなものを表現されている、というような感覚が伝わってくる。

(小池さん)
 余分なものは切り捨て、理屈、論理でとらえる。でも言葉で還元できないものがたくさんある。それを丸ごと捉えたい。「これはなにか?」「どういう意味?」と問い、答えをきくと簡単に理解した気になってしまう。自分がどう捉え、どう落とし込んでいくかが大切なのに。その経路を排除したものは所詮インフォメーション、情報。自分が答えを見出したり、将来まで残しておくことも大切。今わからなくてもいいんだ、と。この作品は、言葉を最小限にして、言葉で表現しないようにした舞台。空間と時間と身体がミックスしてリズムをつくっていく。

(本間さん)
 「又三郎」は先生には見えないけどこどもたちには見える。お話をうかがっていて、とても大きな、分けて考えることができないものごとがあって、その感覚が賢治のどの作品にもあると感じた。賢治の作品を今読むことの大切さ。答えを求めようとして、深いところで問題意識がもてない時代になっている。そういう大人が、こどもたちのいい迷惑になっていないか。だから、これからも賢治を読んでいこうと思っている。

(参加者)
 茅野で『注文の多い料理店』を見て、正直よくわからないと感じていたが、こういう話を聞いておけばよかったなあ、と。

(小池さん)
 最近「あまり考えないで見て」「まずは丸ごと受け止めてください」と伝えている。「これは何か」と問いだすと、意味の呪縛がある。意味を考えないと楽になって反応が違う。教育では、どういう回答があるかという思考になるが、回答はいつかやってくればいいと思う。

(本間さん)
 答えがないことをこどものころに経験していた。こどもたちがわかる、というそのことを大人が改めてしっかりと捉えたい。

(小池さん)
 たぶん、こどもは別なところで見ている。見るというか感じているのだと思う。あと、自然とともに生きていくことがとても大事。高遠で20年間、夏に合宿している。人の身体には自然があって、その対話がないと歪んでいくと思っている。

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参加者の皆さんから
「身体で感じる、ということ。賢治を読んでいて、自分もそう感じている」
「単純に、夢のある作品だと読んでいたが、難しく感じたり楽しみに感じたりしている。茅野でやってくれてうれしい。こどもたちがどう見るのか楽しみ」
「又三郎がどんな舞台になるのか本当に楽しみ」
「早く見てみたい」
…といった感想のあった今回の交流会。皆さんも、どうぞご鑑賞くださいね!

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■風の又三郎2016-ODYSSEY OF WIND-
http://www.chinoshiminkan.jp/ccc/2016/1102.html#1

日時:2016年11月2日(水)19:00開演(18:30開場)
会場:茅野市民館 マルチホール
料金:(全席自由)
大人2,000円、子ども(高校生以下)1,000円、親子2,500円
※当日は各500円増
◎茅野市民館友の会(前売のみ)
大人1,900円、子ども(高校生以下)900円、親子2,400円

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〈関連企画〉
■宮沢賢治の特集展示
茅野市図書館(本館)10/21(金)~11/21(月)
茅野市民館(事務室前)10/21(金)~11/3(木・祝)
茅野市民館図書室 9月~12月下旬

■宮沢賢治を読む会 交流会
10/30(日)16:00~(1時間程度)
茅野市民館ロビー
ゲスト:小池博史(演出家)
(協力:読書の森 読りーむinちの)